

私の想い
民間企業から政治の世界に飛び込み、約6年間、川崎市議会議員をつとめさせていただきました。
私が市議会議員になろうと思ったのは、2015年、川崎で中学1年生の男子生徒が命を奪われる事件がきっかけでした。
子ども同士の事件に、私は一人の母親として地域に住む大人として、胸が痛み、地域に住む大人として心から反省をしました。
もう2度とこのような事件は起こしてはいけない、そして、
「子どもたちが夢や希望を語れる街にしなければ」
そう決意し、2019年より市議会議員として川崎市に関わらせていただきました。
この6年間、全力で取り組んできました。
市民の皆さんから寄せていただいた声を大切に、成果も少しずつ積み重ねてきました。
でも、うまく進められないこともたくさんありました。
どこかで「まだ2期目、6年目」と自分に言い訳していたかもしれません。
ある時、政治の世界とは縁がない知り合いに言われました。
「もう6年も議員をやってるんだね」と。ハッとしました。
民間では6年あれば、一人前。
私は“市政は長く担うもの”という、感覚に甘えていたのかもしれません。
それが、多選によって市政が市民の感覚から離れていく原因だと気がついたのです。
私は、スーパーの野菜が50円安いか高いか、で一喜一憂します。
朝は子どものお弁当を作り、送り出し、ごみを出し、自分の支度をして仕事へ。
子どもが熱を出せば、仕事を調整して看病します。
こうした毎日を生きる市民の感覚を、私は持っています。
子育て中の方だけではありません。
仕事を頑張る人、介護に向き合う人、一人暮らしで生活するご高齢者、学びを続ける学生や若い世代の方…。
川崎には、155万のさまざまな「暮らし」があり「今」があります。
だからこそ、市民の「1日」「1か月」「1年」を無駄にしない市政にしたい。
皆さんの「今」に応えたい。
物価の変化に敏感な目、制度のほころびに気づける感覚、それが、福祉も教育も財政も、よりよいものに変えていく力になると信じています。
川崎市は大正13年に人口約5万人でスタートし、先人たちが多くの挑戦を続け155万人都市へと発展しました。
今回、私にとっては、大きな挑戦です。
でも、挑戦を続けてきたこの街だからこそ、
川崎に住む一人のお母さんが市長になっても、いいと思いませんか?
私は、155万人の今と未来を守り、皆さんとともに歩む「市民の市政」を、責任を持って前に進めていきます。
プロフィール

山田瑛理(やまだ えり)
1982年11月 川崎市川崎区生まれ
さくら幼稚園、川中島小学校、
私立東京女学館中学校ならびに高等学校卒業
上智大学経済学部経営学科卒業
約12年半株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントに勤務。
退社後は、宮前小学校寺子屋や地域活動に参加。
2019年川崎市議会議員選挙で初当選、2023年の同選挙にてトップ当選。
男の子と女の子のママ。
A型/戌年/さそり座
好きな食べ物:麺(特にラーメン)・お肉
趣味:食べる事・漫画を読むこと・音楽鑑賞
川崎市との歩み
誕生〜中学校


遊び場は大師公園。
外遊びが大好きで、小学校時代もそれは変わらず、放課後は公園で鬼ごっこや多摩川で虫探しにつくし探し。
夏は大師プールや富士見プール。とにかく遊ぶ子でした。
高校〜大学時代


川崎でのアルバイト、音楽三昧の日々。
多文化のオーストラリアでその多様性を学びました。
大学時代はクラブチッタ川崎でアルバイトをし、
BUMP OF CHICKENのライブや夏フェスに行くなど、音楽三昧な日々を過ごしました。
レコード会社で子育てを両立。
(株)ソニー・ミュージックエンタテインメント入社。
EPICレコードでアーティストプランニングを担当。
その後、エデュケーション事業部の立ち上げメンバーとして子どもたちに新たな教育の形を提案するべく、
ミュージカル教育・プレゼンテーション教育・親子フェス「Hanno Green Carnival」の立案・企画・制作、駿河台大学臨時講師などを経験。
多忙な仕事、産休・育休の取得、保育園入園の不安、
子育てと仕事の両立といった中で沢山の「なんで?」を感じました。
社会人〜ママになる


川崎市議会議員に

・2019年 川崎市議会議員 初当選
・2023年 同選挙 トップ当選
・環境委員会 副委員長
・文教委員会 副委員長
地域活動

・川崎市立宮前小学校 地域の寺子屋先生
・ハッピーママフェスタ ママブレーン
・かわさき区子育てフェスタ 市民委員
・川崎区盛り上げ隊!メンバー
・川崎青年会議所(2022年卒業)
その他


・日本政策学校 第7期生
・WOMAN SHIFTシスターズ 第1期生
・関東若手市議会議員の会メンバー
・令和政経義塾 1期生















